『君の名は。』を観て思ったこと(1)(ネタバレ)

TSF*1好きの人間が『君の名は。』を観てだらだらと思ったことを書いてみる。
TSFについてはWikipediaやその他サイトを参照されたし。
一言でいえば「性別が変わるお話(ファンタジー)」である。
 
一番最初に言いたいのは「三葉になった瀧が胸を揉んだこと」についてである。
この映画を観てこのシーンを忘れたという人はいないだろう。いたとしたら、もう一度観に行くべきだ。
私が観たときはこのシーンで笑いが起こっていた。老若男女が観ていたのでその反応が大多数なのであろう。
だが私は違う。
「いいな」と思っていた。
 
ここで「いいなと思うことに共感した」という人がいたら問いたい。
何故「いいな」と思ったのか。
 
ここで大きく二つに分かれるのだ。
「胸を揉めたこと」自体か、「自分の胸を揉めていること」なのか、だ。
私は後者だ。もしかしたら前者の中にも潜在的な後者がいるのかもしれない。
この文を読んで、初めて自分が後者であることに気づいた人がいたらラッキーだ。同士になろう。
 
TSFにおいてこの行動は重要だ。
「女性の胸を揉む」という行為は破廉恥な行為であったり、またはスキンシップであったりするものだが
TSFにおけるこれは「確認行動」なのである。
 
自分の身が現在どのような状況にあるのか確認することは日常的な行為だ。
例えば、朝起きたら「自分が寝ていて今起きたこと」「起きるべき時間なのか」「眠った場所で起きたかどうか」そういった行動すべてが確認行動なのだ。
変わったことがあればより詳細に確認を行うだろう。
そのひとつが「自分の体を確かめる」ことなのだ。
 
別に胸を揉まなくたっていいだろう。と思う人もいるかもしれない。
でも「その場でできること」で可能な確認行動と言えば「声を出すこと」と「体を触ること」くらいしかない。
より確実なのが「胸を揉むこと」なのだ。*2これはTSFでは王道である。
 
個人的な意見ではあるが、私は王道をとても重視する。
これを映像で見ることができただけで「ありがとうございます!!」と言いたい。
王道があるからこそ亜流があるし、王道だからこそ広く受け入れられるのだ。
またこの映画を観る機会がある人は瀧が胸を揉んだときの表情と、そのとき何を想って揉んでいたかを想像してもらいたい。
 
また男性でも自分のやわらかい胸を揉むことができる人もだろうという意見もあるだろうが、それはとても悲しい行為であることも知っておいてほしい。

*1:トランス セクシャル フィクションの略

*2:正確に言うともう一つあるがわざわざ言わなくてもいいだろう